日露戦争戦費

 キャメロン英首相の高祖父(祖父母の祖父)、

サー・ユーウェン・キャメロン氏が日露戦争の戦費調達で

日本を積極的に支援していたことが明らかになった。

氏は、香港上海銀行ロンドン支店長として開戦前から融資案を作成し、

横浜支店を通じて日本政府と独占交渉するなど、日本の外貨獲得に奔走していた。

背景には日英同盟があった。

欧州連合(EU)からの離脱機運の高まりで苦境に立つキャメロン首相だが、

日本との深い縁(えにし)が浮き彫りになっている。(ロンドン 岡部伸)

 

 英国立公文書館とベアリングス文書館所蔵の電報や書簡によると、

キャメロン氏は開戦前年1903年10月、

ランスダウン外相から要請を受け、

名門のベアリングス銀行と協力して同盟国の日本への融資の検討を開始。

04年1月、

横浜支店長に「税収入の担保が得られ、適度な額であれば外債を引き受けるべし」との電報を送り、

同2月には、

1千万ポンドを年利6%、

発行価格85ポンド(額面100ポンド)

期限10年という引き受け案を作成して横浜支店を通じて日本政府と交渉した。

 

 戦争前に約4億5000万円の戦費を見積もった日本政府は

約1億円(1000万ポンド)をロンドンで外債として集めることを閣議決定

開戦直後の04年2月に日銀副総裁、高橋是清を米国に派遣した。

 

 英国側が日本政府と直接交渉することになり、

キャメロン氏は04年3月

ベアリングス銀行代表に

「利益の上がるビジネス機会を失うのは不本意

高橋渡英までに引き受け条件を再考できないか」との書簡を送っている。

さらに、「日本敗北」の観測から日本公債が暴落する中で、

キャメロン氏は同月、

横浜支店に「米国の協力を得られれば必ず実行できる」との電報を送り、

励まし続けた。

 

 高橋が04年4月1日からロンドンで外債募集を始めると、

キャメロン氏は高橋の旧知のパース銀行(現ロイヤルバンク・オブ・スコットランド)らとシンジケートを組んで5百万ポンドの公債発行に応じた。

 高橋は著書『高橋是清自伝(下)』で、「正金銀行(現東京三菱UFJ銀行)と一緒になって、公債発行を引き受けようと好意を表してくれるに至ったのは正金銀行の取引先であるパース銀行と(キャメロン氏の)香港上海銀行だけだった」と回顧。

5百万ポンドの公債は年利6パーセント、

発行価格93ポンド(額面100ポンド)、

期限は7年、

関税収入が担保というものだった。

 

さらに、晩餐(ばんさん)会で知遇を得たユダヤ人資本家、

ニューヨークのクーンロプ商会代表、

ジェイコブ・シフが残りの5百万ポンドを引き受け、米国で発行。

その後、ロスチャイルド家なども加わり、

07年まで計6回、

総額1億3千万ポンド(約13億円)の外債発行に成功し、

日露戦争の勝利につながった。

 

 日本の戦費調達にキャメロン氏が救いの手を差し伸べた理由について、

香港大学のフランク・キング教授は、

「アジア市場拡大を狙う商業銀行として同盟国、日本への投資に強い意欲があった」と分析している。

 

 

 

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www.sankei.comより 転写